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2014年6月 5日 (木)

見えるものの向こう側 2

昨日のつづきです…。

浜文子さんの『母になる旅』を読んでいますbook

『私が親になって気がつけば、子どもが本や辞書、テーブルなどに足を上げたり、のっけたりする時、

「足が曲がりますッsign01」と大声で叱るのは、全て祖母や母が私にしたことです。

「行儀が悪い」と理性的に諭すよりも、非科学的に「足が曲がる」と叱ったほうが、ピンとくる感覚があるのです』

夜に口笛を吹いてはいけない…。

枕を踏んではいけない…。

どうして?、と問われても、その答えが理路整然と科学的である必要は一切ない…、と浜さんは書いています。

『なぜなのか分からないけれど、そうしてはいけないこと、なぜかは誰も正しく説明できないけれど、それは守らなければいけないこと…。

そのようなことが、人の暮らしにはなければいけないと私は強く思っています。

特に、幼児のいる生活には、このようなことがたくさんあってほしい、無くてはいけないとも思っています。

子どもの心の一番デリケートな部分には、早いうちに人知を超えた不思議なものへの畏れと、畏れへとつながる心の回路を育てなくてはなりません』

最近では、非科学的なことがらを、単なる迷信としてなかったこととし、科学的なことだけを採用する傾向にあるけれども、そのせいか、辺りを見まわすと、親も子どもも怖いもの知らずの訳知り顔の人が増え、人間の力、自分の力だけで、わからないことも無くなるのだといった勢いだと、浜さんは、憂えます。

『私は、人間が自分の力で、あらゆることが解決でき、世の中の不思議はすべて科学の力で解明されるという発想は、ある種のキケンを伴っているとおもっています。

「不思議だ」「分からない」という思いは、人を謙虚にし、分からないものへの畏れに頭を垂れ、分からないからこそ祈る心をつくっていきます。

育児という、一つの未知の命と向き合う大人には、絶えず何か大きな力の下で頭を垂れ、手を合わせ、祈る心というものが欠かせないのです。

そして、子どもにとっては大きな力を持っていると感じる親ですら頭を垂れたくなる、もっと大きい力を持った存在が、この現実を超えたどこかにいるという畏怖の念が心に育つことが大事なのです。

親の肩の向こうにある、言葉では説明のつかない、目にも見えないものの大いなる力…そのことに幼い時から気づかされる生活を、親は子どもに提供しなくてはいけません。

その”遥かなもの”の”不思議な力”は、子どもの心の居ずまいを正し、そして何か困難にぶち当たった時にも、現実を投げ出したり逃げたりせず、祈ったり信じたりする思いを、呼び覚ますものだと思うからです』

子どものなぜ?、に理路整然と答えないほうがいいこともある…、というのは、ちょっとホッとします。

日々の暮らしのなかで、想像力を培っていく大切さを教えていただきましたconfident

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