
最近、児童精神科医の佐々木正美先生の本を、何冊か読んでいます。
先生の言われるなかで、特に心にとめておきたいことは、『過保護』と『過干渉』について…。
過保護って、よくないことだと思われてますし、私自身、どのくらい子どもの好きなようにさせたらいいのかと迷うことも多かったのですが…。
その答えが、書かれていました。
抜粋します。
子どもを育てるときは、その子がしてほしいと願うことなら、何をどのくらいやってあげてもいいとわたしは思っています。
十分に手と心をかけてあげていいのです。
「過保護になってしまうんじゃないか」
と心配される方が多いですが、実際に「過保護な親」はものすごく少ないと、わたしは思います。
現在の親のほとんどは「過干渉」です。
過保護と過干渉を似たようなものととらえている人が多いようですが、全然ちがうのです。
過保護は自主的でいきいきした子を育てますが、過干渉は自立の芽を摘みます。
この本を読む方々には、ぜひともお子さんを過保護に育てていただきたいと思っています。
過保護とは「子どもの望んでいることをやってあげすぎてしまう」ということです。
子どもにはいろいろな欲求がありますよね。
「抱っこしてほしい」「遊んでほしい」「今日はハンバーグが食べたい」
…そのすべてを満足させ、それ以上のことをしてあげることです。
でも、実際には不可能ですよね。
「明日ね」「いまはムリ」ということは必ずありますから。
だから、本来は過保護になることはできません。
なったとしても悪いことではありません。
「過保護はよくない」なんて言う言葉は、きっと、自分が楽したい人が考えたんだと思います。
人間は「絶対に保護してもらえる」と思うと、伸び伸び行動ができるものです。
もしもあなたが海外に旅行したとき、日本の大使館があなたをしっかり守ってくれると思えば、楽しく伸び伸び観光できることと思います。
でも、大使館の力のない国に行ったら、怖くて外出もできません。
親子関係だって同じです。
いつでも守ってもらえると思うと、子どもは伸び伸び成長して、自分らしさを余すことなく発揮できます。
少し極端な例かもしれませんが、児童養護施設の子どもたちは、幼いころからすべて一人でできるよう教えられます。
けれど、どんなに身の回りのことができるよう訓練されても、施設の子は一般家庭の子よりも生活自立が遅いのです。
それで、ある施設の先生たちが『一人一人をえこひいきしよう』『甘やかそう』とやり方を変えたのです。
そうしたら、それまでは一人でできなかった子たちが、どんどんできるようになったといいます。
つまり、甘やかされ、ひいきされることで、子どもたちは「自分は大事にされているんだ」と思えたのでしょう。
その自信が「一人でやってみよう」という自立の原動力になったのだと、わたしは思います。
自分自身の価値は、他者に評価されることでしか実感できません。
幼児期だったら親や先生といった人に愛され、たいせつにされて初めて「自分は価値ある存在だ」と自覚できるのです。
「過保護に育てられた子は自分ばかりを大事にして、他人をないがしろにする子になる」と考える人も少なくありませんが、それはまちがいです。
誰かにたいせつにされた経験のない子が、どうして他者を愛したり、たいせつにしたりできるでしょうか。
自分をたいせつに思えて初めて、人は人をたいせつにできるのです。
だから、「子どもの言いなりになると、親を召し使いのように扱う子になるんじゃないか」という心配も無用です。
親が自分の願いをかなえてくれていれば、今度は親の願いをかなえたいと思うものなのです。
言うことを聞いてほしいなら、先に親が言うことを聞けばいいのです。
ぼくは3人の息子を過保護で育ててきました。
できる限り彼らの願いをかなえてきたつもりですが、あるとき息子たちが妻にこう言ったそうです。
「お父さんはぼくたちの言うことを必ず聞いてくれたよね。
でも、結局はお父さんの望むように動いちゃうんだよね」と。
子どもとは、きっとこのようなものなのです。
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